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映画はポップコーンと共に。

【コーダ あいのうた】今、ふたつの立場から

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『コーダ あいのうた』を視聴した。

あの岡田斗司夫が2021年で一番面白かったと評価。

2022年の第94回アカデミー賞も受賞している大人気作。

 

映画から受けた印象、感想をネタバレありでまとめる。

超感動、超おすすめの作品となった。心が温まる。

ダブルミーニング

まず、題名についている「コーダ」の意味について。

コーダには、CODAとCodaのふたつの意味がある。

CODA

CODAは、Children Of Deaf Adultsの頭文字を取った言葉で、耳の聞こえない親に育てられた子どものことを言う。

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今作の主人公がまさにCODAで、母と父と兄は皆、先天的に耳が聞こえないろう者。

家族の中では主人公のルビーだけ耳が聞こえて、それがまた話の展開に大きく関わってくる。

キャスト

ろう者である母と父と兄。

その役を演じるキャストが本当に耳に障害を持った役者さんらしい。

それもあって、家族の手話がすごくナチュラルで、違和感なく観られた。

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動きから凄く感情が伝わってきて、手話は目で見なくては伝わらないから、話す際に顔をしっかり向き合わせているのが印象的だった。

Coda

Codaは音楽記号で、楽曲の終わりや大きな段落を締めくくる際に使われる。

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「結尾部」「終結部」と呼ばれ、楽曲の終止を完全にし、曲にまとまりをもたせる。

この映画はCODAである主人公ルビーが音楽大学に進もうとする話で、Codaは終結を表す音楽記号。

自分を取り巻く環境や枷となっているものに別れを告げ、人生の新たな段階へ進んでいくルビーの姿を「コーダ」のダブルミーニングで表している。

マージナルマン

ルビーはマージナルマンだ。

マージナルマンは社会学用語で、境界人。

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マージナルマン:互いに異質な二つの社会・文化集団の境界に位置し、その両方の影響を受けながら、いずれにも完全に帰属できない人間のこと。

 社会心理学者 K.レヴィン

ルビーの取り巻く環境は以下のようなもの。

① 耳の聞こえない家族 ⇔ 健常者の友人

② 大人 ⇔ 子ども(ベイビー)

音楽大学 ⇔ 家族の漁

ルビーはこの狭間に位置する板挟み状態。

耳の聞こえない家族と、健常者の自分。

家では手話でコミュニケーションをして、学校では口話でコミュニケーションを取る。

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家族の意見の通訳に入ることもあれば、手話のコミュニケーションに慣れている余り、口話のなまりをバカにされた過去もある。

高校生という大人と子どもの中間期間、モラトリアムな時期でもある。

家族の漁の通訳のために船に同乗しなければならず、自分の好きな音楽の練習をする時間が取れない。

“頼りにしている”という重圧。家族愛と自分のやりたい事を天秤にかける。

そんな狭間に揺れながら、葛藤しながら、成長していく彼女が逞しかった。

第一言語

合唱サークルに入ったものの、音楽発音が変だといじられた過去に縛られて、みんなの前で歌うことが出来ないルビー。

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先生に歌っている時の気持ちを聞かれた際、口では説明ができなかったものの、手話にするとうまく表現が出来ていた。

手話は口話の補助ではなく、ひとつの独立した言語。

ルビーは家族同様、手話が第一言語になっている。

手話の方が自分をうまく表現ができている。

声じゃなく、想い

この映画、V先生がとにかくカッコいい。

声がキレイでも中身のないやつは沢山いる。

伝えたい想いはあるか?

 By,ベルナルド・ヴィラロボス先生

音楽についてのセリフだが、この映画のテーマである“ろう者”にも関わっている。

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コミュニケーションにおいて大事なのは声ではなく、想い。

外っ面ではなく中身。

そんなメッセージが込められていた。

埋まらない事実

生まれながらに耳が聞こえない両親。

聞こえないから、音楽と言う概念を理解できず、娘の才能が分かり得ない。

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生まれてくる時、自分の娘がろう者であるように願った母。

理由は、立場が違うと分かり合えないと思ったから。

お前が生まれてくるまで家は平和だったと、兄。

兄なりの葛藤、優しさから出たリアルな一言。

そんな埋まらない事実を抱えながら「家族愛」で繋がっているロッシ家。

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ルビーの初めてのコンクールに参加する家族。1分間の無音演出。

分かっていたつもりで分かっていなかった、ろう者目線を体感した。

“歌”を自らの耳で聞けない家族は周りの表情を目で見て娘の才能を、晴れ舞台を、感じるしかない。

振動で感じる歌

父はラップが好き。理由は振動で音を感じられるから。

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耳ではなく、身体で音を楽しむ。

そんな父が、コンクール後のルビーに、自分のために歌ってくれとリクエスト。

喉に手を当て、振動で娘の“歌声”を感じる。

ルビーは父に歌を届けるために大きな声で、大きく喉を震わせる。

これを経て、音楽大学受験へ送り出す。感動シーンだった。

4分間の独唱

受験会場には、30分遅れて到着。

「聴くだけ聴く」というスタンスの試験官の雰囲気を感じ、合唱サークルの初期のように弱気になるルビー。

下を向いてか細い声で歌うルビーを見て、V先生はわざとに伴奏をミス。

やり直しさせてくれと、一呼吸おいて、ルビーにアイコンタクト。

そのタイミングで、2階席に家族が表れる。

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ここで冷静さを取り戻して、伴奏開始。

目を瞑るルビー。この時のルビーの脳裏にはV先生との練習風景、家族の事、父に聞かせた歌が思い出されていたはず。

ルビーの視線は上。2階席。

家族に向けて、喉の振動が伝わるように歌う。

途中から、手話で家族に語り掛けるように歌い始める。

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自分にとっての第一言語で歌をうたうルビー、初めて本当の意味で歌を感じる家族。

三番に入ると、ルビーの歌声がBGMになる形で、物語が映像のみで進み始める。

合格発表のシーンはセリフなし、当人たちの反応だけで解釈する演出になっていて、これもろう者の目線でストーリーを感じられた。

青春の光と影

入学試験で『青春の光と影 / Both Sides Now』を歌った。

Both Sides Nowは、“今、ふたつの立場から”と言う意味。

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青春真っ只中の時期と、過ぎ去った日々を振り返っている今、というふたつの立場。

若い頃はすべてを知っているかのように自分の意見を主張する。

一方、一周経験して世界の広さを身をもって知る。

狭かった世界が広くなって、違った見方ができるようになる。

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そんな歌だった。

歌詞

『青春の光と影 / ジョニ・ミッチェル

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Rows and floes of angel hair
天使の髪が幾重にも連なり浮氷のように流れ
And ice cream castles in the air
空にはアイスクリームの城が浮かび
And feather canyons everywhere
辺り一面に羽根の渓谷が広がっている
I've looked at clouds that way
私は小さい頃、そんな風に雲を見ていた

But now they only block the sun
でも今では、雲は太陽を遮るだけで
They rain and snow on everyone
人々に雨や雪を降らせ困らせる
So many things I would have done
やりたいこともたくさんあったのに
But clouds got in my way
雲が私の邪魔をした

I've looked at clouds from both sides now
今となっては、両側から雲を見ている
From up and down and still somehow
上からも下からも。それでもなんとなく
It's cloud's illusions I recall
雲が見せる幻影を思い浮かべていただけ
I really don't know clouds at all
雲のことなんて、本当は何も知らない

 

Moons and Junes and Ferris wheels
月と6月と観覧車、どれも日々廻っていき
The dizzy dancing way you feel
目まぐるしく移りゆくように感じる
When every fairy tale comes real
おとぎ話がすべて現実になるかのように
I've looked at love that way
私は以前、愛をそんな風に捉えていた

But now it's just another show
でも今では全く別物
You leave 'em laughing when you go
去るときも皆を笑わせたままで気にしなくていい
And if you care don't let them know
もし気にしても悟られてはダメ
Don't give yourself away
自分自身を晒け出す必要なんかない

I've looked at love from both sides now
今となっては、愛を両側から見ている
From give and take and still somehow
与える側も貰う側も。それでもどういうわけか
It's love's illusions I recall
それらは愛が見せた幻だったのかもしれない
I really don't know love at all
愛のことなんて、本当は何一つわからない

 

Tears and fears and feeling proud
涙、怯え、誇りに思うこと、
To say "I love you" right out loud
「愛してる」とはっきり大声で伝えること、
Dreams and schemes and circus crowds
夢や企み、サーカスの観客たち
I've looked at life that way
私は今まで、人生をそんな風に捉えてきた

But now old friends are acting strange
でも今となっては旧友も昔とは振る舞いが違う
They shake their heads, they say I've changed
「私が変わった」と、首を横に振って言う
Well something's lost but something's gained
確かに何かを失ったり、逆に得たりもしたけどね
In living every day
これまでの日々を生き抜く中で

I've looked at life from both sides now
今では、人生を両側から捉えている
From win and lose and still somehow
勝ち組も負け組も味わってきた。それでもなんだか
It's life's illusions I recall
思い浮かぶすべては人生の幻想
I really don't know life at all
人生のことなんて、本当は何もわかっちゃいない

 

I've looked at life from both sides now
今となっては、人生を両側から捉えている
From up and down and still somehow
上からも下からも。それでも何故か
It's life's illusions I recall
思い出すすべては人生の夢幻だったと気がついた
I really don't know life at all
少しはわかっていたつもりになってたけれど、
未だに人生の何もわかってはいないのだと。

「今、○○を両側から見ている」

「○○のことなんて、本当は何もわかっていない」

狭間に位置する彼女が歌うことの意味、「本当は何もわかってない」と言えた時、少しだけそのものの大きさを“わかって”いる。

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本当の意味で物事を両側から見ることが出来た時、人は無知の知に辿り着く。

詳細

『コーダ あいのうた』

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原作:『エール!』

制作年:2021年

制作国:アメリカ・フランス・カナダ

上映時間:111分

制作費:1000万ドル(約13億円)

スタッフ&キャスト

監督・脚本:シアン・ヘダー

【主役】ルビー・ロッシ:エミリア・ジョーンズ

【父役】フランク・ロッシ:トロイ・コッツァ

【母役】ジャッキー・ロッシ:マーリー・マトリン

【兄役】レオ・ロッシ:ダニエル・デユラント

【彼氏役】マイルズ:フェルディア・ウォルシュ=ピーロ

【先生役】ベルナルド・ヴィラロボス:エウヘニオ・デルべス

アカデミー賞

2022年の第94回アカデミー賞で、3部門受賞。

作品賞:『コーダ あいのうた』

助演男優賞:トロイ・コッツァ

脚色賞:シアン・ヘダー