PopScorn

映画はポップコーンと共に。

映画の祭典~長い物には巻かれろ~

f:id:xaviru_80:20230921202110j:image

素人が少し力を入れて作った動画と、業界人が数億の予算をかけて作る映画。

映画の方が面白いはずなのに、動画の方が好まれる時代。

大して何もしてない割に、余暇時間にうるさいのが現代人。

理由として、2時間椅子に座れない。失敗をしたくない。

そこで指標が欲しい。

TVで紹介されてた。○○さんがおすすめしてた。○○賞受賞作。

そこで映画の祭典を調べてみた。

映画の祭典

まず、指標として注目するのは映画の祭典。

f:id:xaviru_80:20230921202125j:image

映画に与えられる賞は主に3つある。

観客側が選ぶもの、映画関係者が選ぶもの、映画祭で選ばれるもの。

映画関係者によって選ばれるものの代表が「アカデミー賞

映画祭は年に一度のサイクルで開かれる映画関連のイベントで、そのイベント内でも映画を表彰している。

これらをひとつひとつ詳しく見ていきたい。

大映画祭

まずは映画祭から。

国際映画祭には、世界三大映画祭と呼ばれるものがある。

①カンヌ②ベルリン③ヴェネツィアの3つで、開催地から名付けられている。

カンヌ国際映画祭

f:id:xaviru_80:20230921202136j:image

フランス南部に位置するカンヌで毎年5月に開催される映画祭。

特徴として、独自性・商業性が評価される傾向にある。

最高賞にはパルム・ドールが与えられる。

直近5年受賞作

2023年第76回:アナトミー・オブ・ア・フォール

2022年第75回:逆転のトライアングル

2021年第74回:チタン

2020年第73回:コロナウイルス感染症により中止

2019年第72回:パラサイト 半地下の家族

ベルリン国際映画祭

f:id:xaviru_80:20230921202146j:image

ドイツの首都ベルリンで毎年2月に開催される映画祭。

難民問題などを扱った、社会派映画が評価される傾向にある。

最高賞には金熊賞が与えられる。

直近5年受賞作

2023年第73回:アマダン号に乗って

2022年第72回:Alcarras

2021年第71回:アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ

2020年第70回:悪は存在せず

2019年第69回:シノニムズ

ヴェネツィア国際映画祭

f:id:xaviru_80:20230921202213j:image

イタリア北部水の都ヴェネツィアで、毎年8月末から9月初旬に開催される映画祭。

芸術性が高いもの、アート性が評価される傾向にある。

最高賞には金獅子賞が与えられる。

直近5年受賞作

2023年第80回:哀れなるものたち

2022年第79回:オール・ザ・ビューティー・アンド・ザ・ブラッドシェッド

2021年第78回:あのこと

2020年第77回:ノマドランド

2019年第76回:ジョーカー

アカデミー賞

f:id:xaviru_80:20230921202222j:image

アメリカ映画の健全な発展”を目的とする式典。

毎年2月末から3月頭にロサンゼルスで開催される。

アメリカ映画の業界関係者を中心とした団体である“映画芸術科学アカデミー”が主催していて、会員による無記名投票で決する。

アメリカの映画業界を主に対象とする。

最高賞にはオスカー像が与えられる。

直近5年受賞作

2023年第95回:エブリシング・エブリウェイ・オール・アット・ワンス

2022年第94回:コーダ あいのうた

2021年第93回:ノマドランド

2020年第92回:パラサイト 半地下の家族

2019年第91回:グリーンブック

ゴールデングローブ賞

f:id:xaviru_80:20230921202232j:image

毎年1月に開催されるため、アカデミー賞の前哨戦。

ハリウッド外国人記者協会の会員93名の投票によって決する。

直近5年受賞作(映画ドラマ部門)

2023年第80回:フェイブルマンズ

2022年第79回:パワー・オブ・ザ・ドッグ

2021年第78回:ノマドランド

2020年第77回:1917 命をかけた伝令

2019年第76回:ボヘミアン・ラプソティ

長い物には巻かれろ

何を見たらいいかわからない。

そんな初心者のために用意されているのが、こういった祭典。

f:id:xaviru_80:20230921202334j:image

王道を嫌うのではなく、まずは王道から。

長いものには巻かれて、よい映画を堪能しよう。

【そして、バトンは渡された】笑っていればラッキーが転がり込む

f:id:xaviru_80:20230921125335j:image

苗字を4回変えた少女の成長を描いた映画『そして、バトンは渡された』を視聴。

テーマは“愛”。様々な事情、様々な愛を表現している感動映画。

 

この映画は知らないで観た方が楽しめます。

面白さは保証するから先入観なしに観ることをおすすめします。

ネタバレには注意。

あらすじ&予告

まず、あらすじを載せておく。

f:id:xaviru_80:20230921193124j:image

血の繋がらない親に育てられ、4回も苗字が変わった森宮優子は、わけあって料理上手な義理の父親、森宮さんと2人暮らし。今は卒業式に向けピアノを猛特訓中。将来のこと、恋のこと、友達のこと、うまくいかないことばかり…。

一方、梨花は、何度も夫を替えながら自由奔放に生きている魔性の女。泣き虫なみぃたんに目いっぱい愛情を注いで暮らしているようだったが、ある日突然、愛娘を残して姿を消してしまった。

そして、優子の元に届いた一通の手紙をきっかけに、まったく別々の物語が引き寄せられるように交差していく。「優子ちゃん、実はさ…。」森宮さんもまた優子に隠していた秘密があった。父が隠していたことは?梨花はなぜ消えたのか?親たちがついた〈命をかけた嘘〉〈知ってはいけない秘密〉とは一体何なのか。

2つの家族がつながり、やがて紐解かれる《命をかけた嘘と秘密》。物語がクライマックスを迎え、タイトルの本当の意味を知ったとき、極上の驚きと最大の感動がとどめなく押し寄せる―。

 公式HPより引用

ネタバレしてから見て欲しくないので、予告も貼っておく。

ここまでで興味を持ってくれますように。

2つの家族

ストーリーは2つの家族を追う形で進んでいく。

f:id:xaviru_80:20230921185936j:image

血のつながらない父と娘。森宮さんと優子。

目的のためには手段を選ばず、夫を替えながら自由に生きる梨花

梨花は4つの苗字を転々とすることになるのだが、それには深い訳があって、そんな彼女の歴史を少し振り返る。

水戸優子

子どもが欲しい梨花は子持ちの独身、水戸さんと結婚。

「みぃみぃ」泣くみぃたんの母になる。

f:id:xaviru_80:20230921125535j:image

梨花はこの頃から病気で、子どもが産めない身体だったという。

そして自身の体調のこともあり、ブラジルに転勤になる夫についていけない。

喧嘩していたことを見ても、水戸さんには病気のことを話していなかった気がする。

田中優子

梨花とみぃたんは二人暮らしになる。

いつ離婚したかはわからないが、この時の苗字は梨花の旧姓である田中になっている。

f:id:xaviru_80:20230921125815j:image

パパが大好きで毎週のように手紙を出していたみぃたんだったが、梨花によって手紙は投函されず。

パパから届いていた手紙も、梨花によってみぃたんには届かず。

なんとしてもみぃたんを手元に置いておきたい梨花は手段を選ばない。

子どもが産めないからこそ“子ども”に憧れを抱き、子どもを愛する。

f:id:xaviru_80:20230921190104j:image

この時の収入源は梨花のパートだけだったにもかかわらず、梨花は服等に散財。

後がないからこそ“今”を生きていたのかもしれない。

救いは、梨花のみぃたん愛が嘘ではななかったこと。

みぃたんがピアノを弾きたいというと、ピアノ持ちの独身男性を探す旅に出る。

泉ヶ原優子

そうして泉ヶ原さんと結婚をした梨花

大きな家、大きなピアノ、沢山のお金。

うんと年上の泉ヶ原さんは、梨花がお金目当てで近づいてきた事に気付きながら受け入れる。

f:id:xaviru_80:20230921125542j:image

なりふり構わずにみぃたんのことだけを考えて突っ走る梨花が愛しく見えたという。

年上の余裕、お金持ちの余裕。

亡き妻が使用していたピアノをみぃたんが弾いてくれる。

そこにも嬉しさを覚えるくらい出来た人。

梨花が急に家を出て行った時もみぃたんを支え、梨花が瘦せて戻ってきた時も理解を示していた。

他に男を作って出ていくときも、自分のことは気にするなと、後押しする。

言わない優しさってあるんだなと、そう感じた。

f:id:xaviru_80:20230921125558j:image

梨花は自分が長くないことを悟り、ふたりも母親を亡くしてははみぃたんがかわいそう、そして泉ヶ原さんも年を召していたから長くはない。

という現実的な理由で“次”を探す旅に出る。

自分の病気のことは笑顔で必死に隠し通しながら。

森宮優子

最終的に生き着いたのが森宮さん。そして森宮優子。

f:id:xaviru_80:20230921125829j:image

みぃたん=優子という構図が分かった時に、全てがつながった。

森宮さんは東大卒で一流企業勤務。

堅物な性格でお金持ち。

だからこそ梨花は森宮さんに優子を信じて託したんだと思う。

数々の親から託されたバトンを森宮さんは必死に守ってきた。

沢山の愛情を感じ、注いできたからこそ優子と早瀬くんの結婚も頑なに拒む。

愛情があるからこその行動。

f:id:xaviru_80:20230921190019j:image

ここまでの描かれ方で色んな感情にさせられたけど、最終的に悪い人がいなく、皆それぞれの愛情、それぞれの信念を貫いていたように感じる。

繋いだバトン

数々の親から繋がったバトン。

f:id:xaviru_80:20230921190247j:image

目的のために手段を選ばない梨花は、自分は子どもを作れない身体。

そうしてみぃたんの母になった梨花は本当の愛情を注ぐ。

何をするにもみぃたんのことを想い、それこそ手段を選ばない。

「笑っていればラッキーが転がり込む」という梨花の信念も、梨花の生い立ちから考えると深いし、泣き虫みぃたんが常に笑っている優子に成長したのも感慨深い。

f:id:xaviru_80:20230921190217j:image

優子の結婚式。

「父が三人もいて、皆に愛された。だから今の私がいて、幸せ者。」と、優子。

それに対し、

「みぃたんがいたから今の私たちがいる。」

「人生が眩しいくらいに色づいた。生きる意味になった。」と父たち。

こうして、梨花から始まったバトンを数々の父たちを辿って大事に大事にみぃたんこと優子を育ててきた。

全ての親の教えが詰まった森宮優子は早瀬くんと結婚。

早瀬優子になり、自分が親になる番。

そうして、バトンは渡される。

f:id:xaviru_80:20230921190120j:image

優子がバトンだとすると、走者は母である梨花

父たちの力を借りながら、梨花が繋いできた。

バトンはもちろん儚く重要だけど、“愛”で、沢山の“優しさ”で、保ち、走り続けた梨花と父たちも素敵だなと感じた。

詳細

『そして、バトンは渡された』

f:id:xaviru_80:20230921125345j:image

【原作】

『そして、バトンは渡された』著 瀬尾まいこ

累計発行部数100万部を突破している、令和最大のベストセラー。

制作国:日本

製作年:2021年

上映時間:137分

興行収入:17億2000万円

スタッフ&キャスト

監督:前田哲

優子役:永野芽郁

森宮さん役:田中圭

梨花役:石原さとみ

早瀬くん役:岡田健史

みぃたん役:稲垣来泉

水戸さん:大森南朋

泉ヶ原さん:市村正観

【グリーンブック】私は私、区別させない。

f:id:xaviru_80:20230920191317j:image

黒人と白人、男と女。

二元論、カテゴライズ。

 

黒人差別について、コミカルに表現した『グリーンブック』を視聴。

差別の歴史や悲惨さについて理解が浅い私が、差別について考えるきっかけになった作品。

対に位置するふたり

天才黒人ピアニストのドクター・シャーリー。

運転手として雇われたイタリア系アメリカ人のトニー・“リップ”・バレロンガ。

f:id:xaviru_80:20230920122655j:image

生まれも育ちも、性格も価値観も全く別の人生を歩んできたふたりが8週間のアメリカ南部ツアーへ向かう。

黒人のシャーリーと白人のトニー。

品が良いシャーリーとガサツなトニー。

家族持ちのトニーと孤独なシャーリー。

とにかく2人は正反対で、価値観が合わない。

f:id:xaviru_80:20230920122825j:image

家に来た黒人のコップをごみ箱に捨てるような黒人差別を行っていたトニーが、アメリカ南部にはびこる、筋の通っていない差別を目の当たりにして考えを改めはじめる。

グリーンブック

グリーンブックとは、1936年から1966年まで毎年出版された、黒人が利用可能な施設を記した旅行ガイドブックのこと。

f:id:xaviru_80:20230920122932j:image

この映画の背景は、まだ人種差別が歴然と残る時代1962年。

同じ席で食事をすることも、同じトイレを使用することも許されない。

そんな時代に重宝された本「グリーンブック」

才能だけでは人は動かない

天才ピアニストがツアーに選んだのはアメリカ南部。

差別が根強く残っている地域。

なぜシャーリーはわざわざそんな地域を選んだか。それは“信念”だという。

f:id:xaviru_80:20230920123019j:image

才能だけでは人は動かず、勇気・信念が人の心を変える。

シャーリーの音楽的才能を認め、自分たちで招いておきながら同じ席で食事をすることも、同じトイレを使用することも、「ここではそういう決まりだから」という理由で拒む。

信念でもなんでもない“風潮”によって差別を行う人々に対し、独りで耐えながら信念を貫くシャーリー。

f:id:xaviru_80:20230920123036j:image

才能だけでは何も変えられないことを知っているからこそ、信念をもって立ち向かう。

そんな姿に胸を締め付けられた。

グリーンブック金言

最後に、本作で印象に残った金言を3つご紹介。ご堪能あれ。

何をするにも全力で

親父によく言われたよ。

何をするにも“100%の力を出せ”と。

仕事の時は仕事、笑うときは笑う。

食う時は“最後の食事だ”と思って食え。

 by.トニー・バレロン

品位のあるシャーリーに対し、雑でガサツなトニー。

車で、体に悪いフライドチキンを手づかみで汚く食べるトニーにシャーリーが注意したシーン。

f:id:xaviru_80:20230920123131j:image

“何をするにも全力を尽くせ”と教えられて育ったトニー。

対で育ったふたりの強み。

両側からの意見があって、大人が形成されていく。

シャーリーはここで初めてフライドチキンを食して、美味しさを知る。

残った骨は、車の窓から放り投げろとトニー。

シャーリー意外にも受け入れ、窓の外へ放る。トニーは調子に乗ってドリンクを放る。

流石にドリンクはやりすぎなのか、シャーリーに咎められ、バック走行でドリンクを回収させられる。

ユーモアが効いてて面白いシーン。

f:id:xaviru_80:20230920123218j:image

何かをやるときは一点集中。

休日の事を考えて仕事をして、「明日仕事だ」と思いながら休日を過ごしては、どちらも成果が出ない。

仕事は仕事、休日は休日。

何をやるにも100%。全力で挑む。

枠に収まらなくていい

黒人でも、白人でも、それに男でもない。

私はいったい何者なんだ?

 by.ドクター・シャーリー

天才黒人ピアニストのシャーリー。

様々な差別を我慢してきた彼は、男が好きなゲイ。

黒人としても、白人としても扱われず、さらに男でもない。

誰が決めたか分からない“カテゴリー”に収まらない自分に苛立つシャーリー。

f:id:xaviru_80:20230920123311j:image

魂の叫びであり、主観ではモヤモヤイライラするかもしれない。

けれど、世の中は二元論で語れるほど単純にできてはいないし、区別なんて出来なくていい。

「私は私、あなたはあなた」

信念をもって、流されないこと。

心の底から思えるように自分を強く持つしかない。

寂しい時こそ一歩踏み出す

そうやってずっと待つのか?

寂しい時こそ自分から先に手を打たなきゃ

 by.トニー・バレロン

ひとり孤独に生きるシャーリーには、疎遠になった兄がいる。

ツアーが終わったら手紙を書いてみてはどうだと、提案するトニーに対して「兄は私の家の住所を知っている」とシャーリー。

自ら行動を起こそうとせずにずっと待っているシャーリーに、寂しい時こそ一歩踏み出せとトニーは言う。

f:id:xaviru_80:20230920123402j:image

クリスマスの夜、無事に家に帰宅したトニー。

家では親戚を含めた大人数でクリスマスパーティーが行われている。

一方、シャーリーは独り。

寂しそうな顔で、”お守り”の翡翠の石を飾る。

トニーが盗んだ石であるにも関わらず、どこか嬉しそうなシャーリー。心情の変化が感じられた。

f:id:xaviru_80:20230920123447j:image

クリスマスパーティー中のバレロンガ家のチャイムが鳴り、トニーが出る。

そこにはシャーリーの姿が。

「寂しい時こそ自分から一歩踏み出す」トニーの言葉を実行した良いシーン。

バレロンガ家も一瞬固まるものの、そこに差別はなく、黒人ピアニストを受け入れる。

奥さんのドロレスは、ツアー中に届いた手紙がシャーリーの助言によって書かれていたことに気付いていたみたい。

躊躇なくハグをして感謝を伝えていた。

詳細

『グリーンブック』

f:id:xaviru_80:20230920123522j:image

原作:実話を基に制作

制作国:アメリカ合衆国

制作年:2018年

上映時間:130分

製作費:$23,000,000(約33億円)

【興行収益】

全世界:$318,849,272(約470億円)

日本:21.5億円

スタッフ&キャスト

監督:ピーター・ファレリー、ブライアン・カリー、ポーター・ファレリー

脚本:ニック・バレロン

トニー・“リップ”・バレロンガ役:ヴィゴ・モーテンセン

ドクター・ドナルド・シャーリー役:マハーシャラ・アリ

ドロレス・バレロンガ役:リンダ・カーデリーニ

アカデミー賞

2019年の第91回アカデミー賞で、3部門受賞。

作品賞:『グリーンブック』

助演男優賞マハーシャラ・アリ

脚本賞:ニック・バレロンガ、ブライアン・カリー、ポーター・ファレリー

【コーダ あいのうた】今、ふたつの立場から

f:id:xaviru_80:20230918110611j:image

『コーダ あいのうた』を視聴した。

あの岡田斗司夫が2021年で一番面白かったと評価。

2022年の第94回アカデミー賞も受賞している大人気作。

 

映画から受けた印象、感想をネタバレありでまとめる。

超感動、超おすすめの作品となった。心が温まる。

ダブルミーニング

まず、題名についている「コーダ」の意味について。

コーダには、CODAとCodaのふたつの意味がある。

CODA

CODAは、Children Of Deaf Adultsの頭文字を取った言葉で、耳の聞こえない親に育てられた子どものことを言う。

f:id:xaviru_80:20230918110834j:image

今作の主人公がまさにCODAで、母と父と兄は皆、先天的に耳が聞こえないろう者。

家族の中では主人公のルビーだけ耳が聞こえて、それがまた話の展開に大きく関わってくる。

キャスト

ろう者である母と父と兄。

その役を演じるキャストが本当に耳に障害を持った役者さんらしい。

それもあって、家族の手話がすごくナチュラルで、違和感なく観られた。

f:id:xaviru_80:20230918111107j:image

動きから凄く感情が伝わってきて、手話は目で見なくては伝わらないから、話す際に顔をしっかり向き合わせているのが印象的だった。

Coda

Codaは音楽記号で、楽曲の終わりや大きな段落を締めくくる際に使われる。

f:id:xaviru_80:20230918111209j:image

「結尾部」「終結部」と呼ばれ、楽曲の終止を完全にし、曲にまとまりをもたせる。

この映画はCODAである主人公ルビーが音楽大学に進もうとする話で、Codaは終結を表す音楽記号。

自分を取り巻く環境や枷となっているものに別れを告げ、人生の新たな段階へ進んでいくルビーの姿を「コーダ」のダブルミーニングで表している。

マージナルマン

ルビーはマージナルマンだ。

マージナルマンは社会学用語で、境界人。

f:id:xaviru_80:20230918112937j:image

マージナルマン:互いに異質な二つの社会・文化集団の境界に位置し、その両方の影響を受けながら、いずれにも完全に帰属できない人間のこと。

 社会心理学者 K.レヴィン

ルビーの取り巻く環境は以下のようなもの。

① 耳の聞こえない家族 ⇔ 健常者の友人

② 大人 ⇔ 子ども(ベイビー)

音楽大学 ⇔ 家族の漁

ルビーはこの狭間に位置する板挟み状態。

耳の聞こえない家族と、健常者の自分。

家では手話でコミュニケーションをして、学校では口話でコミュニケーションを取る。

f:id:xaviru_80:20230918110947j:image

家族の意見の通訳に入ることもあれば、手話のコミュニケーションに慣れている余り、口話のなまりをバカにされた過去もある。

高校生という大人と子どもの中間期間、モラトリアムな時期でもある。

家族の漁の通訳のために船に同乗しなければならず、自分の好きな音楽の練習をする時間が取れない。

“頼りにしている”という重圧。家族愛と自分のやりたい事を天秤にかける。

そんな狭間に揺れながら、葛藤しながら、成長していく彼女が逞しかった。

第一言語

合唱サークルに入ったものの、音楽発音が変だといじられた過去に縛られて、みんなの前で歌うことが出来ないルビー。

f:id:xaviru_80:20230918111530j:image

先生に歌っている時の気持ちを聞かれた際、口では説明ができなかったものの、手話にするとうまく表現が出来ていた。

手話は口話の補助ではなく、ひとつの独立した言語。

ルビーは家族同様、手話が第一言語になっている。

手話の方が自分をうまく表現ができている。

声じゃなく、想い

この映画、V先生がとにかくカッコいい。

声がキレイでも中身のないやつは沢山いる。

伝えたい想いはあるか?

 By,ベルナルド・ヴィラロボス先生

音楽についてのセリフだが、この映画のテーマである“ろう者”にも関わっている。

f:id:xaviru_80:20230918111733j:image

コミュニケーションにおいて大事なのは声ではなく、想い。

外っ面ではなく中身。

そんなメッセージが込められていた。

埋まらない事実

生まれながらに耳が聞こえない両親。

聞こえないから、音楽と言う概念を理解できず、娘の才能が分かり得ない。

f:id:xaviru_80:20230918113004j:image

生まれてくる時、自分の娘がろう者であるように願った母。

理由は、立場が違うと分かり合えないと思ったから。

お前が生まれてくるまで家は平和だったと、兄。

兄なりの葛藤、優しさから出たリアルな一言。

そんな埋まらない事実を抱えながら「家族愛」で繋がっているロッシ家。

f:id:xaviru_80:20230918111818j:image

ルビーの初めてのコンクールに参加する家族。1分間の無音演出。

分かっていたつもりで分かっていなかった、ろう者目線を体感した。

“歌”を自らの耳で聞けない家族は周りの表情を目で見て娘の才能を、晴れ舞台を、感じるしかない。

振動で感じる歌

父はラップが好き。理由は振動で音を感じられるから。

f:id:xaviru_80:20230918112043j:image

耳ではなく、身体で音を楽しむ。

そんな父が、コンクール後のルビーに、自分のために歌ってくれとリクエスト。

喉に手を当て、振動で娘の“歌声”を感じる。

ルビーは父に歌を届けるために大きな声で、大きく喉を震わせる。

これを経て、音楽大学受験へ送り出す。感動シーンだった。

4分間の独唱

受験会場には、30分遅れて到着。

「聴くだけ聴く」というスタンスの試験官の雰囲気を感じ、合唱サークルの初期のように弱気になるルビー。

下を向いてか細い声で歌うルビーを見て、V先生はわざとに伴奏をミス。

やり直しさせてくれと、一呼吸おいて、ルビーにアイコンタクト。

そのタイミングで、2階席に家族が表れる。

f:id:xaviru_80:20230918112130j:image

ここで冷静さを取り戻して、伴奏開始。

目を瞑るルビー。この時のルビーの脳裏にはV先生との練習風景、家族の事、父に聞かせた歌が思い出されていたはず。

ルビーの視線は上。2階席。

家族に向けて、喉の振動が伝わるように歌う。

途中から、手話で家族に語り掛けるように歌い始める。

f:id:xaviru_80:20230918112117j:image

自分にとっての第一言語で歌をうたうルビー、初めて本当の意味で歌を感じる家族。

三番に入ると、ルビーの歌声がBGMになる形で、物語が映像のみで進み始める。

合格発表のシーンはセリフなし、当人たちの反応だけで解釈する演出になっていて、これもろう者の目線でストーリーを感じられた。

青春の光と影

入学試験で『青春の光と影 / Both Sides Now』を歌った。

Both Sides Nowは、“今、ふたつの立場から”と言う意味。

f:id:xaviru_80:20230918112348j:image

青春真っ只中の時期と、過ぎ去った日々を振り返っている今、というふたつの立場。

若い頃はすべてを知っているかのように自分の意見を主張する。

一方、一周経験して世界の広さを身をもって知る。

狭かった世界が広くなって、違った見方ができるようになる。

f:id:xaviru_80:20230918112447j:image

そんな歌だった。

歌詞

『青春の光と影 / ジョニ・ミッチェル

f:id:xaviru_80:20230918123035j:image

Rows and floes of angel hair
天使の髪が幾重にも連なり浮氷のように流れ
And ice cream castles in the air
空にはアイスクリームの城が浮かび
And feather canyons everywhere
辺り一面に羽根の渓谷が広がっている
I've looked at clouds that way
私は小さい頃、そんな風に雲を見ていた

But now they only block the sun
でも今では、雲は太陽を遮るだけで
They rain and snow on everyone
人々に雨や雪を降らせ困らせる
So many things I would have done
やりたいこともたくさんあったのに
But clouds got in my way
雲が私の邪魔をした

I've looked at clouds from both sides now
今となっては、両側から雲を見ている
From up and down and still somehow
上からも下からも。それでもなんとなく
It's cloud's illusions I recall
雲が見せる幻影を思い浮かべていただけ
I really don't know clouds at all
雲のことなんて、本当は何も知らない

 

Moons and Junes and Ferris wheels
月と6月と観覧車、どれも日々廻っていき
The dizzy dancing way you feel
目まぐるしく移りゆくように感じる
When every fairy tale comes real
おとぎ話がすべて現実になるかのように
I've looked at love that way
私は以前、愛をそんな風に捉えていた

But now it's just another show
でも今では全く別物
You leave 'em laughing when you go
去るときも皆を笑わせたままで気にしなくていい
And if you care don't let them know
もし気にしても悟られてはダメ
Don't give yourself away
自分自身を晒け出す必要なんかない

I've looked at love from both sides now
今となっては、愛を両側から見ている
From give and take and still somehow
与える側も貰う側も。それでもどういうわけか
It's love's illusions I recall
それらは愛が見せた幻だったのかもしれない
I really don't know love at all
愛のことなんて、本当は何一つわからない

 

Tears and fears and feeling proud
涙、怯え、誇りに思うこと、
To say "I love you" right out loud
「愛してる」とはっきり大声で伝えること、
Dreams and schemes and circus crowds
夢や企み、サーカスの観客たち
I've looked at life that way
私は今まで、人生をそんな風に捉えてきた

But now old friends are acting strange
でも今となっては旧友も昔とは振る舞いが違う
They shake their heads, they say I've changed
「私が変わった」と、首を横に振って言う
Well something's lost but something's gained
確かに何かを失ったり、逆に得たりもしたけどね
In living every day
これまでの日々を生き抜く中で

I've looked at life from both sides now
今では、人生を両側から捉えている
From win and lose and still somehow
勝ち組も負け組も味わってきた。それでもなんだか
It's life's illusions I recall
思い浮かぶすべては人生の幻想
I really don't know life at all
人生のことなんて、本当は何もわかっちゃいない

 

I've looked at life from both sides now
今となっては、人生を両側から捉えている
From up and down and still somehow
上からも下からも。それでも何故か
It's life's illusions I recall
思い出すすべては人生の夢幻だったと気がついた
I really don't know life at all
少しはわかっていたつもりになってたけれど、
未だに人生の何もわかってはいないのだと。

「今、○○を両側から見ている」

「○○のことなんて、本当は何もわかっていない」

狭間に位置する彼女が歌うことの意味、「本当は何もわかってない」と言えた時、少しだけそのものの大きさを“わかって”いる。

f:id:xaviru_80:20230918112916j:image

本当の意味で物事を両側から見ることが出来た時、人は無知の知に辿り着く。

詳細

『コーダ あいのうた』

f:id:xaviru_80:20230918113028j:image

原作:『エール!』

制作年:2021年

制作国:アメリカ・フランス・カナダ

上映時間:111分

制作費:1000万ドル(約13億円)

スタッフ&キャスト

監督・脚本:シアン・ヘダー

【主役】ルビー・ロッシ:エミリア・ジョーンズ

【父役】フランク・ロッシ:トロイ・コッツァ

【母役】ジャッキー・ロッシ:マーリー・マトリン

【兄役】レオ・ロッシ:ダニエル・デユラント

【彼氏役】マイルズ:フェルディア・ウォルシュ=ピーロ

【先生役】ベルナルド・ヴィラロボス:エウヘニオ・デルべス

アカデミー賞

2022年の第94回アカデミー賞で、3部門受賞。

作品賞:『コーダ あいのうた』

助演男優賞:トロイ・コッツァ

脚色賞:シアン・ヘダー

【幸せについて】幸せは自己中でいい

f:id:xaviru_80:20230917103438j:image

「生きているということ いま生きているということ」

小学校の国語の授業で谷川俊太郎の『生きる』を学んだ記憶がある。

 

最近はエッセイに興味があって、今回で3作目。(下記記事参照)

谷川俊太郎の『幸せについて』を購入。

幸せについて考えた今の気持ちを綴る。

幸せは内側に

幸せは自分の内から湧き出てくるもの。

f:id:xaviru_80:20230917103937j:image

外側にあるのは、幸せの理由。

お金、友達、地位、広大な自然、可愛いペット…。

幸せになる理由は身近にたくさんあるけれど、“幸せ”そのものはひとりひとりのカラダとココロに湧く感情の一種でしかない。

自分の外に幸せを見出すでなく、自分の内から湧き出る感情を信じるしかない。

幸せは自己中

幸せは自己中。

幸せになる条件は分かち合えても、幸せそのものは分かち合えない。

f:id:xaviru_80:20230917104132j:image

幸せ自体は自分ひとりのものだから、他人と比べることはできない。

また、自分が幸せなだけで他人を傷つけることもある。

幸せは自己中だから、「自分が幸せかどうか」だけに焦点を当てる。

幸せの色

f:id:xaviru_80:20230917103920j:image

幸せの色がピンク一色だとしたら、不幸せはもっといろんな色が混ざったもの。

幸せを描く映画で不幸せな描写がされるのは、幸せだけだと単調になるから。

ピンク一色だと単調だから、不幸せに含まれる他の色を混ぜる。

逆に私たちが生きる世の中では、不幸せに含まれる余分な色を一色ずつ丁寧に排除していくこと。

そのいちばん芯の部分に鮮やかなピンクが隠れているのかもしれない。

詳細

『幸せについて / 谷川俊太郎

初版第1刷:2018年12月15日

初版第8刷:2023年01月01日

発行所:株式会社ナナロク社

定価:¥1,100

購入:BOOKOFF(¥825)

ボリューム:P.107(約30分)

【欲が出ました】憧れる人の憧れる人

f:id:xaviru_80:20230916083642j:image

エッセイを読む。マイブームだ。

エッセイには、普段自分が考えもしないようなことが書いてあり、考えさせられる。

そのどれもが答えのない問いで、そんな曖昧さが好きだ。

 

いつか私の書いたエッセイが誰かの手に届くように、勉強としてエッセイに触れる。

BOOKOFFでたまたま手にとって面白そうだった『欲が出ました』を読んだ感想をまとめる。

エッセイ

エッセイとは何か。

f:id:xaviru_80:20230916083738j:image

自分に問うた時、うまく説明が出来なかったので調べてみた。

エッセイ(essay):自分の感想や意見を自由な形式で述べた散文

つまり、「それってあなたの感想ですよね」ということ。

ひねくれて読むと、元も子もないようなことが綴られている。

逆に、素直な気持ちで読むと、新たな気付きや新鮮な疑問が浮かぶもの。

f:id:xaviru_80:20230916083805j:image

哲学の様な、友人との議論の様な、答えのないものに価値を感じる私にはもってこいのジャンル。

一見、不毛と思えるような事に価値を見出したい。

心の軍手

軍手をはめると触れるものって多くある。

たった一枚の手袋をはめただけで、素手では触れないものが触れる。

f:id:xaviru_80:20230916083908j:image

これと同じ要領で、心にはめる軍手を持っておくこと。

どうしても心が折れそうな時、何かに挑戦するとき、心に軍手をはめてみる。

自分にとっての心の軍手を持っておくことで、心が少し楽になるかもしれない。

志は高く、落としドコロは低く

なんか、座右の銘になりそうな言葉だったから共有。

f:id:xaviru_80:20230916083931j:image

高すぎる目標を持つだけだとなかなか頑張りきれないから、落としドコロやハードルといったものは低く設定しておく。

内に燃える志だけは高くしておくことで、結果的に高い目標がすぐ近くに見えてくる。

ラーメン屋のスープ

ラーメンのスープが入っている大きな寸胴。

スープは、表面に浮かぶネギや豚骨といった余計なものをどかさないと、それだけをすくうことが出来ない。

f:id:xaviru_80:20230916084038j:image

欲しいものは下の方の澄んだところにあるということ。

作品をつくるときも同じで、本来言いたいこと、伝えたいことを伝えるためには、表面に浮かぶ余計なものをどける必要がある。

なんでも詰め込むでなく、削る勇気。マイナスの美学。

気が済むかどうか

正しさより、気が済むかどうか。

欲が出た人間に対して、正しさで戦っても拒絶される。

f:id:xaviru_80:20230916084109j:image

そういったときは気が済むかどうかで考えて、相手の気が済んだタイミングで正しさを持ってくる。

気が済むかどうかをクリアしないと、次には進めない。

正しさから話を始めても何の解決にもならない。

一部しか求められていない

本来、人は一部しか求められていない。

結婚はその一部の範囲が広がっていくような事と、著者はまとめる。

f:id:xaviru_80:20230916084148j:image

何事も、最初は一部に惹かれて関係が始まる。

そう、きっかけは些細でいい。

労働力、顔、身体、メリットデメリット…。

一部を求められるのは、なにもネガティブなことではない。

それは始まりのきっかけでしかなくて、広がる可能性があるということ。

 

求められる一部を複数、強度を高く持っておく、作り出す。

そんな意識でいることが大切なのかもしれない。

一番興味のない人の視点

f:id:xaviru_80:20230916084220j:image

エッセイや何かを作るときに、「一番興味のない人」の視点を持つという。

内輪からの言葉だけだと、外側には広がらない。

遅刻しないようにと朝礼で伝えても、遅刻している人はその場にいないように、中からの声だけだと、その輪の外にいる人には届かない。

輪を広げるためには、その輪の外側の人、「一番興味のない人」の視点から語りかける必要がある。

憧れる人の憧れる人

最後に哲学的な話をひとつしよう。

憧れる人の憧れる人という話。

f:id:xaviru_80:20230916084743j:image

憧れの対象である北欧の暮らし。その北欧の人はどんな暮らしに憧れるのだろう。

マッサージ屋さんは誰にマッサージしてもらってるんだろう。

多くの芸人が憧れと称するダウンタウンは誰に憧れたんだろう。

 

そもそも憧れるという概念を持っていない人もいるのかもしれない。

詳細

『欲が出ました / ヨシタケシンスケ

発行日:2020年07月15日

第2刷:2020年07月20日

発行所:新潮社

定価:¥1,100

購入:BOOKOFF(¥750)

【社会人大学 人見知り学部 卒業見込】巨大な鳥に勝つために

f:id:xaviru_80:20230913071544j:image

オードリー若林のエッセイを読んだ。

『LIGHT HOUSE』に始まり、『だが、情熱はある』を視聴してついに、エッセイまでたどり着いた。

過去記事は下記。

何かを学ぶには無批判にすべてを真似することから始まる。

 by.岡田斗司夫

今は若林の歩みを知ることが、自分の未来を考えることに繋がると感じている。

まずは無批判に受け入れてみる、知ってみる。

若林が4年にわたって書き溜めたエッセイを読んだ気付き学びをまとめる。

社会とは何か

ずっと社会に馴染めず、30歳で社会に出た若林。

30歳で社会人大学に通い始め、“社会”というものを理解しようとする様、その葛藤が記されたエッセイだった。

f:id:xaviru_80:20230912204433j:image

遅咲きの若林なりに“社会”を表した印象的な言葉があった。

若林の好きな著者、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』に社会の象徴のような巨大な鳥が出てくる。

その巨大な鳥が自分の前に立ち塞がった時、

巨大な鳥に勝てないほどの実力や情熱なら、まず巨大な鳥の機嫌を伺ってみろ。

社会とはそういう場所。

人によって巨大な鳥に何を当て嵌めるかは変わってくるだろうが、“社会”に出ると必ず巨大な鳥が存在する。

f:id:xaviru_80:20230912204522j:image

その巨大な鳥にどう対するか。

若林はまずは機嫌を伺え、と言う。

今の自分では勝てないことを察し、その場を表面上はやり過ごす。

その時の感情や自分の心中を忘れず、理解し、深掘りして力をつけていく。

人一倍、生き辛さを知る若林の言葉だからこそ、素直に受け入れられた。

人生とは何か

ジェットコースター

人生はジェットコースターのようなもの。

f:id:xaviru_80:20230912204606j:image

わざわざ怖い思いをするために長時間並ぶ

→ 絶叫しながら乗る

→ 二度と乗りたくないと思う

→ でも、充実感がある

→ また、次のジェットコースターに並ぶ

怖いという感情があるから、充実感がある。

充実感があるから、もう一度経験したくなる。

だからこそ長い時間をかけて並ぶし、怖い状況に身を置く。

人は時に理屈じゃ語れない行動をとる。

そういうものにこそ本当が隠されているのかもしれない。

黒ひげ危機一発

人生を黒ひげ危機一発で例えてみる。

f:id:xaviru_80:20230912204736j:image

他人の樽からおっさんがバンバン飛んでいるのを横目に、剣をとにかく刺しまくる若林。(アフロ、モヒカン、アメフトショートコント etc...)

ゲームを始める段階は穴だらけ。

けれど、剣を刺していくことで穴の数は減っていく。

何かをしても何も起こらなかった時、おっさんが飛ぶ可能性は上がっている。

失敗ではなくて、成功のための失敗潰し。

いつ飛ぶかは誰にも分からないし、行動をして何も起こらないとしんどいけれど、確実に穴は減っていく。

剣を刺し続けた人だけが、飛んだおっさんの身体を拝める。

自分の落とし穴

人は自分で気付かないと意味がない。という話をしよう。

「この先に落とし穴があるよ」と言われても

「それはあなたの道でしょ」と気に留めず、

自分が落ちてから「あ、あの人の言う通りだった」と気付く。

天才は我見が強くても自分でスタイルを貫いて結果を出すが、

若林は我見からスタートして通念に着地する。

結果的にみんなの言う通りではあったが、そんな世界は面白くもなんともない。と言い放つ。

f:id:xaviru_80:20230912204821j:image

言われたことを言われた通りにやる人生は失敗がないけれど、味もしない。

無難な正解に従って生きるより、それに抗って自分なりの不正解を探したい。

自己内省

趣味を手にする

趣味は探すものではなく、自然とそうなるもの。

いきなり趣味になるわけではなく、

好き→ハマる→趣味

この過程を経て趣味になる。

f:id:xaviru_80:20230912204927j:image

まずは自分の好きを認識して追求すること。

何が好きか分からないのであれば、何でもやってみること。

その先に没頭できる趣味が見つかる。ことがある。

性格は形状記憶

自己啓発本セミナー。

これらに触れたあとの数日は、意識しているからその形になる。

けれど、日常に晒され続けると、だんだんと忘れていき、元の自分に戻る。

性格は形状記憶合金のようなもので、元々の形は変わらない。

f:id:xaviru_80:20230912205045j:image

ではどうするか。

「幸せになる方法」「なりたい自分になる方法」

こういったものに触れて、それをそのまま実践するのではなく、自分に落とし込む。

「性格は形状記憶合金」という前提の下、これらに触れて、自分を知る。

 

正解ではなく、一意見として取り入れる。

学んで、自分色にアレンジして人に説明できるまで。

それぐらいの“自分ごと感”が必要。

大丈夫と言うことから

本当に大丈夫かどうかは関係ない。

方法も分析も考察も後回し。

大丈夫と言うことから大丈夫は始まる。

ディヴ~分人~

恋人といる時の自分、職場の自分、家族といるとき…。

自分の中には様々な自分がいて、それらをディヴ(分人)と呼ぶ。

誰でも、どんな環境でも自分に嘘をつかず“自分は自分”でいる、という人を「子ども」と表現していた。

f:id:xaviru_80:20230912205232j:image

ディヴはすべて本当の自分で、嘘でも無理をしているでもない。

自分の中の増えていくディヴを可愛がってあげて、集結して床に就く。

これが腑に落ちた時、いい夢が見れそうだなと、思った。

俯瞰を忘れてしまう程の没頭

楽しい気持ちは内側からやってくる。

常にどこか俯瞰の目線の若林。かくいう私も俯瞰人間。バランサーだ。

f:id:xaviru_80:20230912205357j:image

そんな自分を俯瞰で見ていない時が真の楽しいであると結論。

今しか、直近の次しか、考えていないほど没頭している時が真の幸せ。

 

常に俯瞰で物事を見てしまう私だから没頭のハードルは高いかもしれないけれど、だからこそ没頭の深度も深いと信じている。

成長のために

わからないことにこだわる

わからないことを受け入れるか、突き詰めるか。

わからないことに拘らない人は1から100はできるけれど、0から1は作れない。

フォーマットをなぞることはできても、発明はできない。

f:id:xaviru_80:20230912205516j:image

人から言われた常識、世間の当たり前、誰が決めたか分からない世界のルールに抗い続ける事、一人になってもこだわり続ける事。

何かを作りたいならば、何者かになりたいならば、必要な過程なのかもしれない。

人生突っ込まれてナンボ

野次馬。

自分は何もせず他人のすることに批評、批判する人が増えた。

と、私も思っていたが、自分にもその一面があることに気付かされた。

f:id:xaviru_80:20230912205711j:image

ハロウィンや、クリスマスなどのイベントに群がる人を憐みの目で見ていた。

笑われたくないから、ツッコまれてダサい自分になりたくないから、出る杭を拒み続けて斜に構える。

 

違う。

この行動は自分の幅、可能性を狭めているかもしれない。

憐れむも飛び込むも自分の自由だが、ツッコまれればツッコまれる程、人生は面白くなるのかもしれない。

笑われるってすごいこと、存在が価値になる。

本は杖でありビート板。

本一冊で人格が変わるほど甘くない。

本は、本気で何かをしたい人には杖やビート板の役割をする。

けれど、本だけの力で人間を変えることはできない。

杖だけで歩けないし、ビート板だけでは進めない。

f:id:xaviru_80:20230912205814j:image

結局、本人の意思ありきなのである。

本を読んで行動に移さなければ、泳がないのにビート板を持っているようなもの。

何の意味も成さない。

逆に邪魔。ゴミになる。

足掻いた先の光

試合に負けることが分かりきった選手に残されたのは足掻くことのみ。

試合に勝つためではなく、生き様の表現。

それがダサくても、笑われるとしても、足掻いた人にのみ次に繋がる挑戦が約束されているはず。

f:id:xaviru_80:20230912210013j:image

どんなに苦しい時でも譲れない“生き様”を見つけたい。

20代はそれを探す旅の渦中なのかもしれない。